ではこのようなネット上の仮想世界はどんな方向に進んでいくことが予想されるだろうか?まず高精細化は3D化も含めどんどん進み、ゲーム内でのアバターも今まで以上に多彩な動きや表情、表現が可能になる。あるところまでこの現象が進めば現実世界のあり方について個々人が考えることになるだろう。ゲームの製作者は既に現実社会について考えながらゲームプログラムを日々考えていることだろう。これはロボット開発のあり方にも似ている筈だ。どんなに精巧なロボットを創ったところで人体の精巧さには到底及ばないことを多くのロボット製作者は意識していることだろうし、医者など人体のことを多少なりとも知っている人々もその偉大な人間の建築構造に畏怖の念を覚えるはずだ。そういう意味で仮想世界の進展によって現実世界の理解が更に進むことが理想だ。勿論、霊界においては死者や精霊、より高次の精神存在との交流もあるのでネットの仮想世界以上に豊かな世界が展開しているのだが・・・。現実世界では常に時間と空間(距離)の制約を受けながら日々通常の生活を送っている我々。このまともな認識が崩れれば通常の生活は営めない。通常の覚醒状態で霊界を見ることは普通の人間には異常なことだ。しかしこの異常な状態を好む人間が増えているのかもしれない。現代人のインターネット依存症的行動の原因はこの辺にあると思っている。通常霊界を自在に行き来するためには古今東西宗派を問わず、それ相応の準備が必要になるがお金を払って誰でもお気軽にそのような状態を疑似体験できる訳である。おまけに人間は映像に滅法弱いときている。様々なドラッグよって幻覚を見るのが好きな人間もいるが、この手のクスリは元はといえば宗教儀式などにおいて欠かせないものだったはずで、その使用はシャーマンなどに限定されていた。こちらもお金を払えば誰でも手に入れられるようになると瞬く間に人間を堕落させる。現代は法律によって厳しくドラッグの使用を規制することで秩序を保とうとしているがなかなかうまくいっていないようである。資本主義というお金によって何でも売買できる時代に欲望を規制することがいかに難しいかをあらわしている。かつて宗教の持つ力によって守られていた人間は科学技術に守護されていると思いつつ無防備に悪の力の前にさらされている。
2010年6月2日水曜日
擬似霊界が好きな現代ビト(その2)
ネット利用の際の時空間のあり方は霊界における時空のあり方に少しだけ似ている。霊界においては時間や空間は簡単に越えることが出来る。思考や想起といったことを思い浮かべると頭の中で人間は過去を思い出すことも出来るし漠然と未来を想うことも出来る。これらの現象自体が霊界と密接な関係にある。普通の人間であれば睡眠中に身体を離れたアストラル体や自我が何らかの体験を得ること(目覚めればすべて忘れている。)もあるし夢で印象的なシーンに出会うこともあるだろう。しかし、これらの現象はどちらかというと漠とした曖昧模糊とした状態であることが多い。まれにある種の能力を持った人間(大抵はかなりの修行が必要だが)は覚醒した意識を保持したまま、あちこちの世界を行き来することが出来るだろう。現代社会においてはそんなことを話したところで頭がおかしい人と思われるか?新興宗教の教祖になるかといったとこだろう。それが今やネット接続料さえ払えば修行もなしに仮想世界で時間と空間を超えることが出来るのである。この「修行も無し」にという所がミソなのである。この手の修行の基本は己を律するところにあり、倫理面や道徳面で求められるレベルも非常に高いものがある。これはお金に換え難くその境地に到達するまでの道程は人それぞれ個別に違う。つまりネット中毒の問題はお金を払うことで機械や装置を手に入れ、ネットに繋ぐことさえ出来れば、己を律すること(鍛錬・修行)を棚上げにして即、擬似的な霊界体験をすることが出来た結果生じた現象だとも言える。
2010年5月19日水曜日
ユミトとマトとミカヅキ
弓と的と三日月、的が無ければ当たらない、目標が無ければ到達しない。こんな簡単なことが何故分からなかったのか?不思議だが今の自分には的が無くなっていた。的を見定め真ん中を射抜くのが人生だ。的に当たったら次の的を探すのがマットウ(真っ当)なのだ。まさしく今の自分は的外れ。ツミというのはラテン語で的外れのことを意味すると教えて貰った。的に当たらなかったからツンドクという意味だろうか。標的が見えた時点で自分(魂)は既にそこに到達しているという。そこに物体を引き寄せる。的がなければ引き寄せることも出来ない。明確な的が必要だ。三日月の中心点、弓月、見えない部分に魂はある。月の満ち欠けで体調が変化する。手足の見えない部分は霊性を持つ。そこでどのように繋がるか?
2010年5月10日月曜日
セイトオカルト
ようやく春である。春は植物が青々と芽吹く時期でもあり動物達は子育てや発情期が始まり、ジューンブライドの時期でもある。ところでセイとは何だろう?これほど隠された本質はない。このことに関しては頭では分かっても体得している人はほとんどいないかもしれない。国家や宗教による表立つなという規制などある面厳しい快楽の抑制と太古からある当たり前の人間の営み。現代にいたってもなお知識による教育ですら覚束なく試行錯誤が繰り返され、道徳や倫理的な壁もあり何人も簡単には教えられない秘密性を持っている。せいぜい表向きの身体構造と名称、肉体的に赤子がどこから産まれてくるかといった知識であり、快楽や快感、苦痛といった体感は公的に教えることは難しい、とにかく恥ずかしさが先立つのが普通の感覚であり、まさにヒメゴトだ。またセイは原因と結果であり縁そのものであり親子の関係性であり、死と誕生の秘密が聳え立つ。シシュンキに“ぽるの”やシュンガに興味を持ち、せいぜいがその程度の知識のまま大人になる人も多いことだろう。古来から皆が知っており、その過程を通して自分が産まれて来たのにもかかわらずその行為はタブー視されるという不思議さ。オカルトにおいても究極の秘密と言われ今の時代においてはこの秘密を開示することが出来ないという。このことをいいことに氾濫する有象無象のぽるの産業や性風俗産業、はたまた秘密を悪用する破廉恥宗教団体なども古今東西、後を絶たない。では動物と人間でセイについて何が異なるのかという点が問題になる。身体性と精神性とエネルギー性が合わさり死者との関わりもある淫靡性が存在する点かもしれない。死者というのは輪廻転生からいうと産まれてくる前段階の関係性にあるからである。受胎し、子が産まれる前のステップであり陰の部分にあたる、陰から陽への動的な展開が子が産まれる瞬間にやってくる。肉体的には下腹の調子の影響を受け排泄の影響をうける。肉体およびアストラル体の活動が活発化し熱の上昇を伴いながら、月の影響を受けやすい体液が分泌物という形態をとり多様なアストラル的物質として体内から放出される。この間に自我がどこへ行っているかということも喘ぎ声の意味することと共に興味深い。しかし概して現状の人間は自分も含め混乱しているのではないだろうか?というのもこれは一般的な人間が前世を憶えていないのと同様のことであり、また普通の人間が通常霊界を視ることが出来ないのとも共通のことであるからである。また漢字のセイの字には聖・星・醒・正・政・世・勢・凄・性・生・斉・逝・青・清・精・情・靖・犀・姓・甥などがあり、イキルこととシヌことが含まれていることが分かるそれにホシ、アオというツクリにも興味深いものがある。星にはアストラルの意味があり、青には月の意味が付与されるからである。
2010年5月7日金曜日
擬似霊界が好きな現代ビト(その1)
多人数同時参加型オンラインゲーム(MMORPG=Massively Multiplayer Online Role-Playing Game )をする人は今では相当な数がいると思われる。ネトゲ廃人などという言葉もあり、ゲーム依存による死者や育児放棄の事例など、オンラインゲームが先行する韓国や中国などでも問題になっており日本でも中毒症状を呈している人達がいるだろう。ネット社会が同時世界的に拡張発展する中で普遍的な問題になってきていると思われる。それほどまでにのめり込める理由は何であろう?その一つに仮想現実(バーチャル)の世界ではオンラインで繋がってさえいれば時間や空間を超えてゲーム内で一緒にパーティを組んだり、会話(チャット)を楽しむことが出来ることが上げられる。二つ目にゲーム内でのヒトガタ=人形(アバター)を使って実際の性別・容姿・年齢に関係なく、もちろん学歴や職業・社会的地位も関係なくゲームに参加できるという仮想平等性ということも上げられるかもしれない。3つ目としてパチプロみたいにゲーム内仮想通貨の現金化(リアルマネートレード=RMT)で実生活を送っている人もいることだろう。時空の関係でいえば国内専用サーバのゲームであれば例えば九州、北海道、広島でゲームをやっている人がゲーム内の冬景色を背景に「今日は寒いね」と会話しても実際の寒さの度合いはかなり違う。海外サーバのオンラインゲームなどではそれに加えて時差が生じるのでゲームを終了する挨拶で「good night!」が適切かどうかということもある。現実世界で挨拶の基本である空模様を見ての天気の話や時間や時候(北・南半球の違い)の挨拶が通用しないというのもオンラインゲームならではの現象だ。世界各国の人間が時差を超えてゲーム内で遊んでいる。言語においては英語を使う人が多いがチャット画面の文字を追っても何語か良くわからないことも多い。略語やアングラ語も多いので尚更だ。同一の仮想空間内に実際には地球上のあちこちにいる人間が同時に集まる状況というのはネット社会が現れる前にはありえなかった。
2010年4月21日水曜日
属国魂
縁あってここ(時代と場所)に生まれてきたと思う。東洋か西洋かどっちつかずの中途半端を思わせるこの国に。先の大戦時の隣国の迷惑を顧みない空威張り的態度、敗戦後から今に至る米国に隷属する卑屈な政治的態度まで中途半端な行動に溢れているこの国に。この国を象徴する歴代首相の優柔不断さと決められなさに自分と相通ずるものを以前から感じていた。マスコミには不甲斐なさをなじる言動に溢れているが唾は全部自分の顔にかかっている。恥ずかしながらあらゆる面で自分自身とも相似形を為していると感じる。霊学では自分を知りたければ外を見よ。宇宙を知ろうと思ったら自分の中に沈潜する必要があるという。このブログタイトルにもあるとおり自分も十分過ぎるほど中途半端な生活を送る人間である。今度の日曜日(4月25日)に沖縄で超党派による十万人規模の米軍に対する県民総決起集会が開かれるという。日本が独立国なのかどうかこれでまたはっきりする。飛行機を操縦する人は常に現在地を把握していなければならないが高速で移動している為、自分の位置を把握したときには既にその地点にはいない。よくよく考えて見れば個々人の人生生活にも全く同じことが言えるだろう。硬い嘴と鋭い爪、柔らかい羽毛を持って大空を鷲座のように飛び続けることが出来るものは幸いである。墜落すれば硬い殻に覆われ、尻尾に毒針と鋏を持って地面を這い蹲る蠍座になってしまう。
2010年4月10日土曜日
カゼを読む力と目に見えないもの
外は結構強い風が吹いている。風は体感温度にもろに効いてくる。春風や秋風などのように季節の変わり目に吹くカゼは人間にカゼをよびやすい。咳や鼻水などの体調不良に風邪の字を与えるのも道理である。端午の節句に鯉幟を揚げるようになって自分も以前より風のことを考えるようになった。矢車の回る音、吹流しがなびく向き、支柱のしなり具合、鯉幟が大空に泳ぐさまは日々刻々と変化する。風には色も着いていないし形もなく目に見えないので、カゼに吹かれるものが揺れたり風切り音を立てないとどれぐらいの強さでどの向きで吹いているかよく分からないのだ。
台風中継の時に若いキャスターが嵐の中にわざわざ立っていたりすることや高速道路に吹流しがある理由もそこにある。国旗、軍旗など古今東西を問わず人間がイクサのときに旗を揚げたり幟を立てるのも風を読む力を、未だ見ぬ勝敗の行く末に未来を賭けて占っていたのだろう。かぜの“か”の字は“ちから”や“かみ”の“か”の字に通じ、かぜの“ぜ”の字は“勢力”や“軍勢”の“いきおい”に通じていると考える。俵屋宗達は見事な筆致で風神雷神図において“ちから”と“いきおい”を表している。(カミナリについてはまた別に論じたい)いにしえの人は目に見えないものに対しての想像力を豊富に持っていたのだろう。風神や西洋の伝説に登場する四精霊の一つシルフなど豊かな目に見えない世界を身近に感じていたはずだ。翻って現代の人間は目に見えないものに対していかに無防備に曝されているだろう。原発を含む核の危険性や電磁波公害、化学物質過敏症などから、情報通信が高速化し発達するのに反比例して昔より先が見えなくなったという笑えない話もある。また目に見えるものへの依存傾向として映像(TVや映画、コンピューターグラフィック=CG)関係の進歩があげられる。高精細、高画質、3Dなど枚挙に暇がない。このような現代においてこそ目に見えないものに対する心構えを養いたい。それではこの辺で風とともに去りぬ。
2010年4月8日木曜日
明日は金曜日
オカルト的宇宙論は土星紀からはじまる、次は太陽紀、月紀へと続き地球紀(現代)となる。来紀は木星紀となり金星紀の後は未だ物質化して目に見えないヴァルカン星紀へと続く。現代は曜日でいうと火曜と水曜にあたる。様々な宗教儀式の祭壇で火と水が使われるのも地球紀を表している。これは火水(ひみず)と呼び地球紀の秘密(ひみつ)へとつながる。パプテマス・シロッコが「木星帰り」と呼ばれるのも地球紀の次という観点から考えると分かりやすい。また週刊金曜日という雑誌の由来は反ファシズムのフランス人民戦線が刊行した『Vendredi(ヴァンドルディ=金曜日)』だという(命名者は哲学者・久野収)。ここにも先を見据えるという志を感じる。http://www.kinyobi.co.jp/consider/about/about_yurai.php
登録:
投稿 (Atom)