2010年4月10日土曜日

カゼを読む力と目に見えないもの





外は結構強い風が吹いている。風は体感温度にもろに効いてくる。春風や秋風などのように季節の変わり目に吹くカゼは人間にカゼをよびやすい。咳や鼻水などの体調不良に風邪の字を与えるのも道理である。端午の節句に鯉幟を揚げるようになって自分も以前より風のことを考えるようになった。矢車の回る音、吹流しがなびく向き、支柱のしなり具合、鯉幟が大空に泳ぐさまは日々刻々と変化する。風には色も着いていないし形もなく目に見えないので、カゼに吹かれるものが揺れたり風切り音を立てないとどれぐらいの強さでどの向きで吹いているかよく分からないのだ。
台風中継の時に若いキャスターが嵐の中にわざわざ立っていたりすることや高速道路に吹流しがある理由もそこにある。国旗、軍旗など古今東西を問わず人間がイクサのときに旗を揚げたり幟を立てるのも風を読む力を、未だ見ぬ勝敗の行く末に未来を賭けて占っていたのだろう。かぜの“か”の字は“ちから”や“かみ”の“か”の字に通じ、かぜの“ぜ”の字は“勢力”や“軍勢”の“いきおい”に通じていると考える。俵屋宗達は見事な筆致で風神雷神図において“ちから”と“いきおい”を表している。(カミナリについてはまた別に論じたい)いにしえの人は目に見えないものに対しての想像力を豊富に持っていたのだろう。風神や西洋の伝説に登場する四精霊の一つシルフなど豊かな目に見えない世界を身近に感じていたはずだ。翻って現代の人間は目に見えないものに対していかに無防備に曝されているだろう。原発を含む核の危険性や電磁波公害、化学物質過敏症などから、情報通信が高速化し発達するのに反比例して昔より先が見えなくなったという笑えない話もある。また目に見えるものへの依存傾向として映像(TVや映画、コンピューターグラフィック=CG)関係の進歩があげられる。高精細、高画質、3Dなど枚挙に暇がない。このような現代においてこそ目に見えないものに対する心構えを養いたい。それではこの辺で風とともに去りぬ。

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