2010年5月10日月曜日

セイトオカルト

ようやく春である。春は植物が青々と芽吹く時期でもあり動物達は子育てや発情期が始まり、ジューンブライドの時期でもある。ところでセイとは何だろう?これほど隠された本質はない。このことに関しては頭では分かっても体得している人はほとんどいないかもしれない。国家や宗教による表立つなという規制などある面厳しい快楽の抑制と太古からある当たり前の人間の営み。現代にいたってもなお知識による教育ですら覚束なく試行錯誤が繰り返され、道徳や倫理的な壁もあり何人も簡単には教えられない秘密性を持っている。せいぜい表向きの身体構造と名称、肉体的に赤子がどこから産まれてくるかといった知識であり、快楽や快感、苦痛といった体感は公的に教えることは難しい、とにかく恥ずかしさが先立つのが普通の感覚であり、まさにヒメゴトだ。またセイは原因と結果であり縁そのものであり親子の関係性であり、死と誕生の秘密が聳え立つ。シシュンキに“ぽるの”やシュンガに興味を持ち、せいぜいがその程度の知識のまま大人になる人も多いことだろう。古来から皆が知っており、その過程を通して自分が産まれて来たのにもかかわらずその行為はタブー視されるという不思議さ。オカルトにおいても究極の秘密と言われ今の時代においてはこの秘密を開示することが出来ないという。このことをいいことに氾濫する有象無象のぽるの産業や性風俗産業、はたまた秘密を悪用する破廉恥宗教団体なども古今東西、後を絶たない。では動物と人間でセイについて何が異なるのかという点が問題になる。身体性と精神性とエネルギー性が合わさり死者との関わりもある淫靡性が存在する点かもしれない。死者というのは輪廻転生からいうと産まれてくる前段階の関係性にあるからである。受胎し、子が産まれる前のステップであり陰の部分にあたる、陰から陽への動的な展開が子が産まれる瞬間にやってくる。肉体的には下腹の調子の影響を受け排泄の影響をうける。肉体およびアストラル体の活動が活発化し熱の上昇を伴いながら、月の影響を受けやすい体液が分泌物という形態をとり多様なアストラル的物質として体内から放出される。この間に自我がどこへ行っているかということも喘ぎ声の意味することと共に興味深い。しかし概して現状の人間は自分も含め混乱しているのではないだろうか?というのもこれは一般的な人間が前世を憶えていないのと同様のことであり、また普通の人間が通常霊界を視ることが出来ないのとも共通のことであるからである。また漢字のセイの字には聖・星・醒・正・政・世・勢・凄・性・生・斉・逝・青・清・精・情・靖・犀・姓・甥などがあり、イキルこととシヌことが含まれていることが分かるそれにホシ、アオというツクリにも興味深いものがある。星にはアストラルの意味があり、青には月の意味が付与されるからである。

0 件のコメント:

コメントを投稿