2014年9月27日土曜日

『自由と壁とヒップホップ』旭川自主上映会9月27日(土)

パレスチナヒップホップムーブメントを取り上げた長編ドキュメンタリー
『SLINGSHOT HIP HOP』、邦題『自由と壁とヒップホップ』の上映会を
まちなかぶんか小屋(旭川市7の7)で9/27(土)にて行います。
①11:00②14:00③18:30 前売り1000円当日1200円 問合せ0166-23-2801

まだ予告編しか観ていませんがChuck D(パブリックエネミー)も推してるだけあって
期待大です。

イスラエル領内のパレスチナ人ヒップホップ・グループ“DAM” を中心に取り上げています。
監督は自身もパレスチナにルーツを持つジャッキー・リーム・サッローム
ガザ攻撃などニュースになることはあってもパレスチナ問題に触れる機会はめっきり少ない日本。もちろん、情報を取りに行けばいくらでもネット上にはソースはあるんだけど・・・
ましてやパレスチナのヒップホップムーブメントに触れる機会などめったにない。
※今、1回目観てきました。
途中で涙が出て来ました。アラビア語で唄うラッパー、ベツレヘム、ガザ、西岸、分離壁による分断と移動の不自由、「暴力に芸術で闘う」「迫害をする連中に勝利はない」という言葉に希望を見出したい。少しでも多くの人に関心を持ってもらいたいテーマです。
ありとあらゆる不条理が物理的に精神的にパレスチナを襲っています。
何が彼らを歌わせるのでしょう、どこからグルーヴはやってくるのでしょう
音楽には何かを変える力を根源的に有しています。誰もが感じる力です。
過酷な状況下で人々は異議申し立てをグルーヴにのせます。
目に見えない抑圧を個人で跳ね返すために必要なグルーヴの力は偉大です。苦悩する人間の限界を超える力を湧き立たせます。


現在パレスチナで起こっている出来事はオカルト的に古代・中世から続く近現代まで含めた地球文化期の課題を象徴しています。愛が求められる土地なのです。

イスラエル軍が圧倒的な火器・重機で行う 暴力は国内の大手メディア情報だけでは、事の流れを追えないでしょう。
人間が行う愚かしい行為、夥しい犠牲者達、爆発音が消去できない生活音となる現状、この現代に日常的に繰り広げられている愚行、パレスチナで何が起こっているかにもっと日本人は注目していい。

物理的な空間の囲い込み、人間を弾圧化に置き、逃げ場を無くしておいて攻撃する。
狂っています。このような不条理を許すわけにはいきません。プロテストソングとしてのラップ、是非映画をみてください。






2010年6月2日水曜日

擬似霊界が好きな現代ビト(その3)

ではこのようなネット上の仮想世界はどんな方向に進んでいくことが予想されるだろうか?まず高精細化は3D化も含めどんどん進み、ゲーム内でのアバターも今まで以上に多彩な動きや表情、表現が可能になる。あるところまでこの現象が進めば現実世界のあり方について個々人が考えることになるだろう。ゲームの製作者は既に現実社会について考えながらゲームプログラムを日々考えていることだろう。これはロボット開発のあり方にも似ている筈だ。どんなに精巧なロボットを創ったところで人体の精巧さには到底及ばないことを多くのロボット製作者は意識していることだろうし、医者など人体のことを多少なりとも知っている人々もその偉大な人間の建築構造に畏怖の念を覚えるはずだ。そういう意味で仮想世界の進展によって現実世界の理解が更に進むことが理想だ。勿論、霊界においては死者や精霊、より高次の精神存在との交流もあるのでネットの仮想世界以上に豊かな世界が展開しているのだが・・・。現実世界では常に時間と空間(距離)の制約を受けながら日々通常の生活を送っている我々。このまともな認識が崩れれば通常の生活は営めない。通常の覚醒状態で霊界を見ることは普通の人間には異常なことだ。しかしこの異常な状態を好む人間が増えているのかもしれない。現代人のインターネット依存症的行動の原因はこの辺にあると思っている。通常霊界を自在に行き来するためには古今東西宗派を問わず、それ相応の準備が必要になるがお金を払って誰でもお気軽にそのような状態を疑似体験できる訳である。おまけに人間は映像に滅法弱いときている。様々なドラッグよって幻覚を見るのが好きな人間もいるが、この手のクスリは元はといえば宗教儀式などにおいて欠かせないものだったはずで、その使用はシャーマンなどに限定されていた。こちらもお金を払えば誰でも手に入れられるようになると瞬く間に人間を堕落させる。現代は法律によって厳しくドラッグの使用を規制することで秩序を保とうとしているがなかなかうまくいっていないようである。資本主義というお金によって何でも売買できる時代に欲望を規制することがいかに難しいかをあらわしている。かつて宗教の持つ力によって守られていた人間は科学技術に守護されていると思いつつ無防備に悪の力の前にさらされている。

擬似霊界が好きな現代ビト(その2)

ネット利用の際の時空間のあり方は霊界における時空のあり方に少しだけ似ている。霊界においては時間や空間は簡単に越えることが出来る。思考や想起といったことを思い浮かべると頭の中で人間は過去を思い出すことも出来るし漠然と未来を想うことも出来る。これらの現象自体が霊界と密接な関係にある。普通の人間であれば睡眠中に身体を離れたアストラル体や自我が何らかの体験を得ること(目覚めればすべて忘れている。)もあるし夢で印象的なシーンに出会うこともあるだろう。しかし、これらの現象はどちらかというと漠とした曖昧模糊とした状態であることが多い。まれにある種の能力を持った人間(大抵はかなりの修行が必要だが)は覚醒した意識を保持したまま、あちこちの世界を行き来することが出来るだろう。現代社会においてはそんなことを話したところで頭がおかしい人と思われるか?新興宗教の教祖になるかといったとこだろう。それが今やネット接続料さえ払えば修行もなしに仮想世界で時間と空間を超えることが出来るのである。この「修行も無し」にという所がミソなのである。この手の修行の基本は己を律するところにあり、倫理面や道徳面で求められるレベルも非常に高いものがある。これはお金に換え難くその境地に到達するまでの道程は人それぞれ個別に違う。つまりネット中毒の問題はお金を払うことで機械や装置を手に入れ、ネットに繋ぐことさえ出来れば、己を律すること(鍛錬・修行)を棚上げにして即、擬似的な霊界体験をすることが出来た結果生じた現象だとも言える。

2010年5月19日水曜日

ユミトとマトとミカヅキ

弓と的と三日月、的が無ければ当たらない、目標が無ければ到達しない。こんな簡単なことが何故分からなかったのか?不思議だが今の自分には的が無くなっていた。的を見定め真ん中を射抜くのが人生だ。的に当たったら次の的を探すのがマットウ(真っ当)なのだ。まさしく今の自分は的外れ。ツミというのはラテン語で的外れのことを意味すると教えて貰った。的に当たらなかったからツンドクという意味だろうか。標的が見えた時点で自分(魂)は既にそこに到達しているという。そこに物体を引き寄せる。的がなければ引き寄せることも出来ない。明確な的が必要だ。三日月の中心点、弓月、見えない部分に魂はある。月の満ち欠けで体調が変化する。手足の見えない部分は霊性を持つ。そこでどのように繋がるか?

2010年5月10日月曜日

セイトオカルト

ようやく春である。春は植物が青々と芽吹く時期でもあり動物達は子育てや発情期が始まり、ジューンブライドの時期でもある。ところでセイとは何だろう?これほど隠された本質はない。このことに関しては頭では分かっても体得している人はほとんどいないかもしれない。国家や宗教による表立つなという規制などある面厳しい快楽の抑制と太古からある当たり前の人間の営み。現代にいたってもなお知識による教育ですら覚束なく試行錯誤が繰り返され、道徳や倫理的な壁もあり何人も簡単には教えられない秘密性を持っている。せいぜい表向きの身体構造と名称、肉体的に赤子がどこから産まれてくるかといった知識であり、快楽や快感、苦痛といった体感は公的に教えることは難しい、とにかく恥ずかしさが先立つのが普通の感覚であり、まさにヒメゴトだ。またセイは原因と結果であり縁そのものであり親子の関係性であり、死と誕生の秘密が聳え立つ。シシュンキに“ぽるの”やシュンガに興味を持ち、せいぜいがその程度の知識のまま大人になる人も多いことだろう。古来から皆が知っており、その過程を通して自分が産まれて来たのにもかかわらずその行為はタブー視されるという不思議さ。オカルトにおいても究極の秘密と言われ今の時代においてはこの秘密を開示することが出来ないという。このことをいいことに氾濫する有象無象のぽるの産業や性風俗産業、はたまた秘密を悪用する破廉恥宗教団体なども古今東西、後を絶たない。では動物と人間でセイについて何が異なるのかという点が問題になる。身体性と精神性とエネルギー性が合わさり死者との関わりもある淫靡性が存在する点かもしれない。死者というのは輪廻転生からいうと産まれてくる前段階の関係性にあるからである。受胎し、子が産まれる前のステップであり陰の部分にあたる、陰から陽への動的な展開が子が産まれる瞬間にやってくる。肉体的には下腹の調子の影響を受け排泄の影響をうける。肉体およびアストラル体の活動が活発化し熱の上昇を伴いながら、月の影響を受けやすい体液が分泌物という形態をとり多様なアストラル的物質として体内から放出される。この間に自我がどこへ行っているかということも喘ぎ声の意味することと共に興味深い。しかし概して現状の人間は自分も含め混乱しているのではないだろうか?というのもこれは一般的な人間が前世を憶えていないのと同様のことであり、また普通の人間が通常霊界を視ることが出来ないのとも共通のことであるからである。また漢字のセイの字には聖・星・醒・正・政・世・勢・凄・性・生・斉・逝・青・清・精・情・靖・犀・姓・甥などがあり、イキルこととシヌことが含まれていることが分かるそれにホシ、アオというツクリにも興味深いものがある。星にはアストラルの意味があり、青には月の意味が付与されるからである。

2010年5月7日金曜日

擬似霊界が好きな現代ビト(その1)

多人数同時参加型オンラインゲーム(MMORPG=Massively Multiplayer Online Role-Playing Game )をする人は今では相当な数がいると思われる。ネトゲ廃人などという言葉もあり、ゲーム依存による死者や育児放棄の事例など、オンラインゲームが先行する韓国や中国などでも問題になっており日本でも中毒症状を呈している人達がいるだろう。ネット社会が同時世界的に拡張発展する中で普遍的な問題になってきていると思われる。それほどまでにのめり込める理由は何であろう?その一つに仮想現実(バーチャル)の世界ではオンラインで繋がってさえいれば時間や空間を超えてゲーム内で一緒にパーティを組んだり、会話(チャット)を楽しむことが出来ることが上げられる。二つ目にゲーム内でのヒトガタ=人形(アバター)を使って実際の性別・容姿・年齢に関係なく、もちろん学歴や職業・社会的地位も関係なくゲームに参加できるという仮想平等性ということも上げられるかもしれない。3つ目としてパチプロみたいにゲーム内仮想通貨の現金化(リアルマネートレード=RMT)で実生活を送っている人もいることだろう。時空の関係でいえば国内専用サーバのゲームであれば例えば九州、北海道、広島でゲームをやっている人がゲーム内の冬景色を背景に「今日は寒いね」と会話しても実際の寒さの度合いはかなり違う。海外サーバのオンラインゲームなどではそれに加えて時差が生じるのでゲームを終了する挨拶で「good night!」が適切かどうかということもある。現実世界で挨拶の基本である空模様を見ての天気の話や時間や時候(北・南半球の違い)の挨拶が通用しないというのもオンラインゲームならではの現象だ。世界各国の人間が時差を超えてゲーム内で遊んでいる。言語においては英語を使う人が多いがチャット画面の文字を追っても何語か良くわからないことも多い。略語やアングラ語も多いので尚更だ。同一の仮想空間内に実際には地球上のあちこちにいる人間が同時に集まる状況というのはネット社会が現れる前にはありえなかった。

2010年4月21日水曜日

属国魂

縁あってここ(時代と場所)に生まれてきたと思う。東洋か西洋かどっちつかずの中途半端を思わせるこの国に。先の大戦時の隣国の迷惑を顧みない空威張り的態度、敗戦後から今に至る米国に隷属する卑屈な政治的態度まで中途半端な行動に溢れているこの国に。この国を象徴する歴代首相の優柔不断さと決められなさに自分と相通ずるものを以前から感じていた。マスコミには不甲斐なさをなじる言動に溢れているが唾は全部自分の顔にかかっている。恥ずかしながらあらゆる面で自分自身とも相似形を為していると感じる。霊学では自分を知りたければ外を見よ。宇宙を知ろうと思ったら自分の中に沈潜する必要があるという。このブログタイトルにもあるとおり自分も十分過ぎるほど中途半端な生活を送る人間である。今度の日曜日(4月25日)に沖縄で超党派による十万人規模の米軍に対する県民総決起集会が開かれるという。日本が独立国なのかどうかこれでまたはっきりする。飛行機を操縦する人は常に現在地を把握していなければならないが高速で移動している為、自分の位置を把握したときには既にその地点にはいない。よくよく考えて見れば個々人の人生生活にも全く同じことが言えるだろう。硬い嘴と鋭い爪、柔らかい羽毛を持って大空を鷲座のように飛び続けることが出来るものは幸いである。墜落すれば硬い殻に覆われ、尻尾に毒針と鋏を持って地面を這い蹲る蠍座になってしまう。